企業 株式会社富士メガネ
ジャンル 小売業
従業員数 580名(男329名、女251名 2020年2月現在)

持続可能な開発目標(SDGs)達成に向けた企業・団体等の取組を促し、オールジャパンの取組を推進するために、2017年6月の第3回SDGs本部において創設が決定された「ジャパンSDGsアワード」。2019年12月20日、総理大臣官邸で「第3回ジャパンSDGsアワード」の表彰式が開催されました。

そこで、副本部長(外務大臣)賞を受賞したのが北海道札幌市に本社を置く、「株式会社富士メガネ」です。

富士メガネは、1983年以来、毎年海外の難民キャンプや国内避難民の居留地を訪問し、難民・避難民の視力検査を行って、一人ひとりに合ったメガネを無償で寄贈する活動を実施(延べ37回)。この活動に参加した社員は延べ195名、寄贈した眼鏡は169,446組にのぼります。

支援活動を通じた社員の技術力向上と仕事への誇りはビジネスと難民支援活動の好循環を醸成していることや、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と全世界で最長のパートナーシップを継続しているとともに、日本国内の協力会社等のステークホルダーも活動に協力していることなどが受賞理由です。

SDGs実施指針における実施原則(本アワード評価基準)では次のように評価しています。

  • 普遍性/国連機関(UNHCR)と企業が連携して難民問題に取り組む姿が、企業の社会貢献活動のグローバルなロールモデルとなっている。
  • 包摂性/国、地域、民族、ジェンダーという隔たりなく、「視る力」を取り戻すための活動を実施。
  • 参画型/社員、UNHCR、対象国政府、NGO、国内メーカーなどの国内外のステークホルダーと協力し、持続性のある活動を実現。
  • 統合性/本活動を通じて学習と成長の機会を得た結果、本業で価値の高いサービスを提供し、収益を得て活動の継続を支える好循環を醸成。
  • 透明性と説明責任/活動後に対象国政府とUNHCR事務所へ活動報告を実施。帰国後は報告書を作成し、WEBサイト、映像やチラシ等で公表。

富士メガネ、海外支援のきっかけ

支援のきっかけは、何だったのでしょうか。富士メガネは、2017年度「第24回読売国際協力賞」を受賞していますが、その記事を引用して紹介します。

支援の原点は、現会長兼社長の金井昭雄さん(77歳)が最先端の視力ケアの専門家(オプトメトリスト)を目指し、米国の大学に留学中の1970年代に体験したボランティアにあるそうです。日本ではまだボランティアがなじみが薄かった時代に、アリゾナ州の先住民居住区で、一人ひとりの視力を検査し、仲間とかき集めた使い古しの眼鏡を配りました。満面の笑みを浮かべる先住民を見て、たった一組のメガネが生み出す力に強い衝撃を受け、「日本に戻っても必ずやろう」とあります。専門分野を生かした人道支援活動に対する関心を持たれたのです。もっと遡ると、樺太(現サハリン)で生まれ、終戦で引き揚げた体験と、難民の姿が重なり、自身も避難民だったとの意識が根底にあったようです。

1981年、富士メガネはインドシナ難民支援団体から、難民に適切な視力補正サービスを提供したいとの連絡を受けます。すぐに600組のメガネをタイの難民キャンプに送りましたが「既製のメガネを送るだけではだめだ」と当時専務だった金井さんは心が晴れませんでした。

1983年、視力支援を創業45周年記念事業と位置づけ、500組のメガネとレチノスコープ(検眼鏡)を持ってタイに向かいます。視力を測り、度数の合ったメガネを手にした難民の方々が「見える」「見える」と泣いて喜ぶ姿にすべての苦労が吹き飛びます。

難民の反響は大きく、翌1984年からはUNHCRが全面協力、支援物資の無税通関などの便宜を図ってくれました。

以来、難民支援活動はタイ・インドシナ難民キャンプ支援(1983~1993)、ネパール・ブータン難民キャンプ(1994~2007)、アルメニア・アゼルバイジャン難民キャンプ(1997~2004)、アゼルバイジャン周辺国からの難民・国内避難民支援(2005~現在)と、継続しています。

現在、次のような支援活動に取り組んでいます。(2018年「CSRレポート」より)

難民支援活動

  • アゼルバイジャンに第14回目(通算36回)となる、視力支援ミッション

約2週間滞在し、約2,800人の方々の視力検査を行い、4,000組のメガネをはじめ、補聴器、眼内レンズなどを現地で寄贈。用意したメガネで合うものがなかった方々には帰国後、特別製作したメガネ196組送付。

  • イラク・クルディスタン地域の国内避難民(主に子供たち)へ1,500組のメガネを寄贈。
  • 世界難民の日(6月20日)に、UNHCRに10万米ドルを寄付。(10年間で100万)
  • UNHCRへ、新たに10年間で200万米ドルの寄付をスタート。

国内支援活動

難民支援活動に加えて、国内でも北海道胆振東部地震被災者へ、避難所を訪問し、メガネの無償提供、調整・修理、補聴器電池の提供。店頭では罹災証明書持参者に、検眼を行い、新しいメガネを作って無償提供。その他無償でのメガネの調整・修理、補聴器電池の提供を実施し、2018年現在で3,232組のメガネを提供している。

2006年、UNHCR「ナンセン難民賞」を受賞

金井昭雄さんは、2006年、日本人としてはじめて「ナンセン難民賞」を受賞しています。

ナンセン難民賞とは、1954年、当時の国連難民高等弁務官、ヴァン・ハーベン・グートハート博士が、難民の窮状に焦点を当てるため、難民支援に多大な貢献をした個人・団体をたたえる目的で創設されました。大規模な難民支援を先駆けて行なったフリチョフ・ナンセン(ノルウェー)にちなんだこの賞は、1954年を初回年度とし、毎年推薦を募り、ナンセン難民賞委員会が受賞者を選出、金井昭雄氏は2006年に受賞しました。資料を見ると、授与者は年に1名となっています。

授与にあたりアントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官は、次のように述べました。

「金井氏のおかげで、非常に難しい状況にある何万もの難民は、人生の新しい展望を抱くことができた。視覚という贈り物は貴重だ。視覚が回復すると、個人の人生は大きく変わる。子どもも大人も学習が可能となり、疎外された状態から立ち直ることができる。」と。

さらに、「株式会社富士メガネは、UNHCRにとって、最も長く協力関係にある法人パートナーである」とニュースリリースに記されています。

見る喜びを、国内外へ、これからも。

見る喜びを国内外へ、これからも」。富士メガネのビジョンです。難民支援には、無償でメガネを作って差し上げることを目的に、「視援隊」として役員や社員が支援活動に参加しており、社員の皆さんは自らの休日を使ってキャンプに赴き、難民支援を行っています。

先述の読売新聞によると、そこで出会うのは、強度の遠視や近視、乱視でも、お金がなくて買えなかったり、逃げる途中で落としたり、目が見えづらくなっている高齢者だったりする。そして、「見える」と泣いて喜び抱きついてきたり、「視力を測ったことがなかったから、自分の視力が悪いなんて知らなかった。文字も絵もはっきり見えて、博士になったみたいだ」、「学校の本がすらすら読めるようになった。将来は目医者さんになる」、「黒板の文字がはっきり見えて勉強がしやすくなった。学校の先生になりたい」といった子どもたちの声々と出会うのです。

これを体験した社員は、「見えるってそんなにうれしいんだ。これまで働いてきて、こんなに喜んでもらえたことはない」と、帰国後も技術を磨くため、検眼などの通信教育を受講するなど、富士メガネで働く人々の喜びも増していっているのです。

37年に及ぶこれらの活動は、地球的課題に真正面から取組み、確実に企業文化として根づき、かかわるすべての人々に喜びをもたらしていることが伺えます。

参考資料

  • 株式会社富士メガネHP、CSRレポート
  • 2017年11月8日 読売新聞社 抜粋・一部改変
  • UNHCR日本[プレスリリース]ナンセン難民賞2006年受賞決定の記事