「名取市海岸林再生プロジェクト」と、オイスカに見る社会課題解決アプローチ【アウトサイドイン・アイ】

『「名取市海岸林再生プロジェクト」と、オイスカに見る社会課題解決アプローチ』 


▪2011年3月11日、東日本大震災 勃発。名取市「北釜地区」の皆さんとの出会い

東日本大震災時、宮城県名取市にある仙台空港の東側に位置し、伊達政宗の時代に作られた貞山(ていざん)運河と美しい松林、太平洋との間にあった「北釜地区」に住んでいた人々との出会いが、「アウトサイドインビジネスゲーム」が生まれる大きなきっかけとなったことは、「体験ワークショップ」、「公認ファシリテーター養成講座」を受講された皆さんには周知のところです。

▲海岸林によって速度が違う貴重な津波の写真  

▲津波から6日後の仙台空港の海側の北釜

被災直後の北釜地区はこんな姿でした。集落はたった数軒を残して流失し、人々の暮らしや農業を護って来てくれた海岸林も根こそぎ倒されました。

それから10年経た今、北釜の地には海岸林が豊かに再生され、他の海岸に面した被災地域とは明らかに違う風景を生み出しています。

▲防潮堤の高さ6m。
明らかに他の地区より低いことが解ります。

▪国際NGO「オイスカ」の協力で「名取市海岸林再生の会」活動開始

この幅300m、全長5kmに及ぶ美しい海岸林は、なぜ再生できたのでしょうか。
そこには、地域の人々と想いを一つにして行動する国際NGO「公益財団法人オイスカ」の絶大な協力があったのです。
1961年に創立したオイスカは、50年以上にわたってアジア・大洋州諸国で農業の技術指導や持続可能な地域開発協力や、30年以上にわたって緑化活動を実践してきているという実績がありました。
海岸林の被災面積は東北6県全体で3,659.2haにのぼり、その半分以上を宮城県が占めました。オイスカは被災した地域を訪ね、「海岸林再生」を提案していきます。それに真っ先に手を挙げたのが名取市北釜地区住民の皆さんでした。
震災前、北釜地区に住む109世帯、約400人にとって、たくさんの祭りや行事、暮らしの糧を得る共同作業に心をひとつにして取り組む、まさに「白砂青松」のふるさとで、「海岸林再生」は住民共通の使命でさえあったのです。
一方、オイスカは海外現場での経験から「地元住民の強い意志がある現場でない限り、成功しない」という経験則を持っていたことから、両者の念いが一致し、「海岸林再生プロジェクト」がスタートしました。

▪「名取市海岸林再生の会」のもと、10か年計画で邁進した海岸林再生プロジェクト活動

オイスカは震災が起こって6日後には行動を開始。次の手順でプロジェクトが立ち上がっていきました。
・2011/3/17 林野庁長官に海岸林再生に関し、行政が立案する復興計画に協力を申し出。
・ 〃 4/21  航空調査。
・ 〃 5/24 国・県・森林組合・種苗組合と初協議、陸上踏査開始。
北釜地区住民とともに育苗を行い、名取市内海岸林約100haに必要な苗木の提供、植林、下刈りなど保育し、2011年から10か年計画で、クロマツ苗木の不足対策と雇用対策を兼ねて、育苗・植栽・育林の「一貫施業」を目指す計画を立案。
・2012/2 「名取市海岸林再生の会」(被災農家32名・会長鈴木英二さん)立ち上げ。
・3/30 初めて播種。育苗を開始。

そして10か年計画の最終年の2020年、「白砂青松」の美しい姿を自分たちの手で蘇らせることができたのです。
具体的な実績は次の通りです。
・育苗/播種数 552,306粒・発芽率 93.3%
・植栽/面積 72.46ha・本数370,198本・活着率99.1%
・雇用/9,103人
・市民/ボランティア 11,649人
視察人数    3,413人
活動報告会  39,125人
報告会開催   241回
メディア紹介  247回
播種は2018年度で終了。寄付金収入は2020年9月末に8億円を突破。

「名取市海岸林再生の会」の会長として一貫した信念で取り組んできた鈴木英二さんは、「まず地元の人が海岸林再生のためにひとつにならなければならない。オイスカは中長期的な視点で国、県、市そして地元住民の理解を得て、共に活動してくれた。特にプロジェクトをボランティア主体と考えず、地元住民を雇用し、地元住民主体を貫いてくれた。再生の会の内部では、実際の現場で働く人と資金調達、宣伝作業を行う人の関係がうまく連携した。支援の呼びかけ、組織のアレンジメントを仕切る会長である自分と、現場でクロマツを育てる再生の会のメンバーのより良い人間関係」が成功のカギと言っています。
鈴木さんはさらに「リオ+20」や、ワシントンで開催された世界銀行年次総会に出向き、「東日本大震災後の津波被害における海岸林再生報告」を行うなど、世界に向けて発信してきました。

▲「リオ+20」で、FURUSATO論を
発表する鈴木さん

▪オイスカにみるNGO活動と、SDGsへの貢献を目指した社会課題解決アプローチ

NGOはどんな活動を行なっているのか、オイスカを事例に紐解いてみましょう。
オイスカは、1961年に創立された「オイスカ・インターナショナル」の基本理念を具体的な活動で推進する機関と位置づけられ、1969年に設立しています。
飢饉に苦しむインドへの篤農家派遣を皮切りに、国際協力NGOの草分け的存在としてアジア太平洋地域で農村開発や環境保全活動を続けている国内では2番目に古いNGOであると言われています。設立年代で見ると「第一世代」(1960~70年代前半)に位置し、1960年代は「FOOD FIRST」をテーマに活動、1970年代「GRASS ROOTS」、1980年代「LOVE GREEN」、1990年代「CHILDREN`S FOREST PROGRAM」、2000年代・2010年代「ふるさとづくり」と時代の要請に対応してきています。
国連とのかかわりを見ると、1993年「国連地球サミット賞」受賞。1995年国連経済社会理事会諮問資格「カテゴリーⅠ(現、ジェネラル)に昇格など、重要な役割を担っています。
本年、創立60周年を迎えるオイスカは、2021年から2030年の10か年計画を策定し、持続可能な社会の実現を目指して、2つのアプローチを掲げています。1つは自然の力を活かして取り組む社会課題解決のアプローチ、もう1つはビジネスセクターとのパートナーシップとソーシャルビジネスによる社会課題の解決アプローチです。
「NGOデータブック2016」によると、SDGsをグローバルに達成するためには、多様なセクターが連携して力を発揮する必要があり、「他組織との連携」で、企業連携には「チャリティ・慈善型」、「CSR型」、「CSV型」の3つの型があると想定され、『NGO側は今後「CSV型」の連携が発展することを期待している』と記載されています。
企業がSDGsに取り組むにあたり、NGOとの連携によるCSV実現の検討も一考の余地がありそうです。

<参考資料>
1.オイスカ公式HP  http://www.oisca.org/
2.「NGOデータブック2016」数字で見る日本のNGO
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000150460.pdf

(SDGsアウトサイドイン運営事務局)