【第5回】原田勝広の視点焦点「SDGsは冷戦終焉の贈り物」【アウトサイドイン・アイ】

どうも!アウトサイドインカードゲーム運営事務局です!

アウトサイドイン・アイでは、皆様の

『SDGsってどんなことなんだろう?』

『SDGsのビジネスにおける具体的な活動、つまりアウトサイドインってどんなもの?』

といった疑問にお応えすべく、我々が注目したweb上の記事を皆様にお届けします!

今回も、alterna online から

原田勝広の視点焦点「SDGsは冷戦終焉の贈り物」です!

 


■論説委員・原田勝広「視点焦点」

読者の皆さん、初めまして。1年ほど前からオルタナの論説委員をしている原田勝広です。月1で第4木曜に、このコーナーに書かせてもらうことになりました。よろしくお願いします。

初回なので、まず簡単に自己紹介をします。日本経済新聞で主に国際畑を歩き、ブラジル・サンパウロ特派員として中南米33カ国をカバー、ニューヨークでは国連を担当しました。サンパウロではブラジルでサッカー武者修行中の若者を取材、励ましたこともあります。そう、まだ無名だった若き日のカズこと三浦知良選手です。

編集委員になってからは、横浜のドヤ街・寿町や岡山のハンセン病療養所「邑久光明園」に住み込んだりする、日経らしくない取材が好きでした。

その後、明治学院大学で教鞭をとり、東日本大震災の時は、学生とともに現地でボランティア活動で汗を流しました。森編集長とは、1996年に発生したペルーの日本大使公邸人質事件の厳しい取材で共に苦労した間柄です。

さて、初回のテーマは、いま流行りのSDGsです。「なぜか突然SDGsがブームだね」「そのうち忘れられるんじゃないの」なんて話していませんか。今日は、SDGsにはちゃんとした歴史的背景があることを説明したいと思います。

きっかけは東西冷戦構造の終焉、ベルリンの壁の崩壊でした。1989年のことです。今思うとウソみたいですが、当時「米ソの対立がなくなり、これからは国連の時代だ」と言われたものです。しかし、予測は見事にはずれました。

国連軍が存在しない中、国連は地域紛争にPKO派遣で対応しようとしましたが、荷が重すぎました。世界の安全保障は相変わらず米国、ロシアなど大国に委ねられたのです

しかし、国連はしたたかでした。核戦争の危機がなくなれば、これからの世界にとって重要なのは非軍事的な課題だと察し、安保理(安全保障理事会)とは別に経済社会理事会を活性化させ、地球規模の経済問題、社会問題に焦点を当て、リーダーシップを発揮したのです。

1992年に地球サミットと呼ばれる環境開発会議(リオデジャネイロ)で気候変動枠組み条約、生物多様性条約を決定したのを始め、世界人権会議(ウィーン)、国際人口開発会議(カイロ)、世界女性会議(北京)、国連人間居住会議(イスタンブール)と90年代次々に世界会議を開きました。

グローバル化の負の側面の克服と同時に、今後深刻化するであろう地球環境、貧困削減、ジェンダー問題などに取り組む姿勢を明確にしたのでした。

こうした一連の会議の成果は2000年のMDGs(ミレニアム開発目標=8目標)としてまとめられました。国とNGOが主たる担い手だったにもかかわらず、BP、ヒューレットパッカード、ネスレ、ユニリーバなど欧米の先進企業は早くも、経営の中にMDGsを取り込み、自社の活動をMDGsの目標と関連づけしました。

同じ2000年に決まったグローバルコンパクトの影響もあったに違いありません。これは人権、労働、環境などの分野で10原則を示し、企業に働きかけを求めたものです。かつて70年代に多国籍企業の不適切な行動に振り回された経験から国連と企業とは必ずしも関係がよくありませんでしたが、MDGsで一気に距離が縮まりました。

企業サイドからは当時、経営の視点から社会貢献、社会的価値を意識したCSR、BOP、CSVに関心が集まり、一方、国連からは、開発の視点からビジネスセクター向けにPRI、ESG、BCtA(Business Call to Action)が打ち出されました。価値観が共有され始めた中で、共通言語の役割を果たしたのが、実はMDGsでした。

MDGsでは出遅れ切歯扼腕していた日本企業は、後継のSDGs(持続可能な開発目標=17目標)が2016年からスタートするや、待ってましたとばかりに、経団連が企業行動憲章を改定して政府と二人三脚でSDGsに本格的に取り組み始めました。

SDGsは対象を途上国だけでなく先進国まで広げたうえで、企業を主役として巻き込んでおり、渡りに船でした。

このように冷戦構造崩壊後、小さな流れがひとつの大きな河として各セクターがひとつにまとまり、驚くような大きなうねりとなり30年の時を経てわれわれの前に現れているのです。冷戦終焉が地球の「今」と「明日」のために私たちに贈ってくれたのが、SDGsなのです。

国連は日本ではあまりにも理想化され過ぎています。その期待の裏返しから過剰に批判する人たちも多い。しかし、実体はその中間だろうと思います。

地球が、あるいはそこに住む多くの人が危機に瀕している時には、政府も経済界も市民社会も力を合わせて解決策を探ることが求められます。世界政府が存在しない以上、その扇の要の役割は国連に期待するしかないのでしょう。


 

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